シーズン中は日ハムの事を辛口に。週末は当たらない競馬予想を。そしてたまには・・・
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2005-11-11 Fri 00:15
ローズSの思い出として、メジロラモーヌのことを書いた1週間後に亡くなるとは・・・。


この頃は、4歳牝馬(現3歳)だけのレースであり、3冠目のレースであったのは言うまでもないが、メジロラモーヌは単勝1.3倍の断トツの1番人気。ローズSでクビ差だった2番人気のポットテスコレディの単勝が13.9倍で、それ以降人気は拮抗していた。わかりやすく例えれば、今年の菊花賞のような感じであった。


マチカネエルベがハナにたって流れていたレースが動いたのは、京都特有の3コーナを回ってからの下りであった。2番手をキープしていたスーパーショットに並びかけるメジロラモーヌ。そして、抜け出しを図るメジロラモーヌに必死に喰らいつくスーパーショット。だが、やはり最後に抜け出したのはメジロラモーヌであった。1/2馬身差の勝利であった。そして、初代3冠牝馬の誕生。トライアルも全勝であったから、見事としか言いようがなかった。河内洋Jも輝いていた。


この後、有馬記念を走って引退、繁殖牝馬となったが、産駆にこれといった活躍馬は出ておらず残念。孫の代で活躍する馬が誕生することを願うばかりである。


今にして思えば、この馬をキリ続けたのは、なんとも無謀であったと反省するばかり。


最後に、今更ではあるが、メジロラモーヌよ、お疲れ様。どうかやすらかに・・・。
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2005-10-27 Thu 23:58
秋の天皇賞といえば、真っ先にこの年のことを思い出す。何故なら、この年に社会人となった私は、次の日の午後から、研修のため東京に出張することとなっていた。田舎者の私にとっては、一人で行く始めての東京。4日間の研修だが夜は自由。おまけに一人での参加だったため、何の拘束もない状況。東京で就職した仲間に連絡もとり、あとは行くだけだったのだが、やはり楽しく遊ぶためにはお金が必要。資金を稼ぐために、思い切って1点勝負に出たのだった。


この年の1番人気はミホシンザン。前年には皐月賞と菊花賞の2冠を制していたが、明けて5歳になってからは勝ちがなかった。2番人気は、サクラユタカオー。毎日王冠をレコード勝ちして、このレースに臨んだ。私が買ったのは、当然1番人気を切って、2番人気のサクラユタカオーから・・・。


ウインザーノットのハイペースの逃げでレースは進んだ。サクラユタカオーは4番手辺りの絶好のポジションでレースを進めていた。ミホシンザンはそれよりやや後ろを追走。最後の直線に入っても、ウインザーノットの脚色は衰えず、このまま逃げ切るのかとも思われたが、サクラユタカオーがやっきた。毎日王冠の時と同じような伸び脚。最後は2.1/2の差をつけてのレコード勝ちだった。2着にはウインザーノットが残り、ミホシンザンは伸びきれずに、またしても3着だった。


私が持っていた馬券は、枠連7-8 3,000円。ウインザーノットではなく、同枠にいたギャロップダイナと思って買っていたのだが・・・。20年前の約5万円のお金。新入社員が遊ぶには十分過ぎる金額だった。


私は、サクラユタカオーが好きだった。2000mより1ハロンでも距離が伸びた途端、勝てなくなる馬ではあったが。
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2005-10-20 Thu 23:28
今みたいに馬券の種類が多くなかったこの頃、馬券の主流は枠連だった。枠連の時代、ゾロ目を買うのが好きで(というよりも穴馬を選んだ結果やむを得ずゾロ目も買わなくてはならかったというのが正しいのかもしれないが)、仲間内から「ゾロ目のヒラちゃん」と呼ばれていたくらいだった。


この年の1番人気はラグビーボール。京都新聞杯でダービー馬のダイナガリバーよりも着順が悪かったにも関わらずだ。以下タケノコマヨシ、レジェンドテイオー、サニーライト、ダイナガリバーまでが単勝オッズ10倍以下と人気は割れていた。が、私は同コース同距離の嵐山特別を勝っていたメジロデュレンに注目していた。やはり長距離ならメジロだろと。


スタート前には、レジェンドテイオーがどうレースを引っ張るかと思われていたが、いきなりその思惑が崩れた。掛かったのか、なんとダブルイーグルがハナにたつという思ってもいない展開になった。2度目の3コーナーから下りにかかるころには、既にレジェンドテイオーは一杯になっていた。が流れ自体はスロー。好位を追走していたメジロデュレンとダイナガリバーに有利な流れとなっていた。ラグビーボールも伸びてきてはいたが、3着までがやっと。そして、ダービー馬を制して最後に抜け出たのはメジロデュレンだった。


メジロデュレンは読み通りだったが、同枠のダイナガリバーはこないと思っていた。だが、馬券は的中した。何故なら同枠にもう一頭、田原成貴騎乗の後方一気のフレッシュボイスがいたからである。こういうこともあるから、ゾロ目好きは馬連の登場までおさまることはなかった。
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2005-10-10 Mon 23:04
一番好きな牝馬は?と聞かれたならば、多分この馬の名前をあげると思う。ファビラスラフイン

この年から、G1レースの体系が変わり、4歳牝馬(現3歳牝馬)の3冠目のレースが秋華賞へと代わり、距離も2400mから2000mへと変わった。この変化は大きかった。

第一回秋華賞。一番人気となったのは、後に名牝と呼ばれることになるエアグルーヴ。単勝1.7倍と圧倒的な人気であった。が、穴党の私には、休み明けの秋初戦でこの距離は危険だと思った。それよりも、同じ休み明けでも、NHKマイルCで人気になりながら、ハナを奪えずに惨敗した結果、人気落ちしているファビラスラフインの方に目がいった。血統から見ても、この距離でも大丈夫という妙な自信があった。

ハイペースで流れたレースとなったが、道中ファビラスラフインは3番手あたりの好位を追走。直線で先頭に立つと、脚色は劣ることなくそのままゴール板前を通過した。タイム1:58:1は見事であった。

エアグルーヴはレース中に骨折した影響もあり10着だった。掲示板に載る事ができなかったのはこのレースだけであった。

もし、レース中に骨折していなければと思ったエアグルーヴのファンは多いと思うが、私はこのレースでは、仮に骨折がなくてもエアグルーヴはファビラスラフインを交わすことは出来なかったと思う。

NHKマイルCでの惨敗。このレースでの勝利。そして、ジャパンCでの2着。この年3度も私に高配当の馬券を取らせてくれたこの牝馬を何時までも忘れることはあるまい。
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2005-09-30 Fri 15:25
スプリンターズSがG1に昇格したのは、この年からであったが、開催時期は今とは違い、
12月に行われていた。だからいまだに、秋のG1シリーズの緒戦がスプリンターズSといわれても、ピンとこないことがある。


この頃のスプリント戦は、純粋のスプリンターよりも、マイラーがスプリントもこなすといった感じだった。
そして私の方も、闇雲に1番人気を切るのではなく、1番人気から人気薄へという買い方もしっかりマスターした時期だった。

このレースの1番人気は、武豊騎乗のバンブーメモリー。直前のマイルチャンピオンSでは、パッシングショットの鬼脚に屈し、ここでも人気を分けあったが、かろうじて1番人気を確保した。
レースはダイワダグラス、ナルシスノワール、ミリオンセンプーなどが引っ張りハイペースとなった。武豊は派手に出遅れてしまったパッシングショットを気にする必要もなく、仕掛け所だけを考えていればよかったのだと思う。上がり3F34.5の差し脚を生かし、見事にトップでのゴールとなった。パッシングショットも上がり3F33.6の鬼脚を発揮したが、いかんせん中山の直線ではどうにもならず、出遅れが最後までたたって8着であった。武豊かは確かこれが中山での初勝利だったと思う。

その後・・・、バンブーメモリーは二度とトップでゴール板前を通過することはなく、パッシングショットはレース後に引退し繁殖牝馬となったのだが、最初の種付け中の事故で死亡し、産駒をのこすことは出来なかった。
ちなみに、このときの5着はダイタクヘリオスで、後にマイルチャンピオンSを連覇することになるとは、想像すらできなかった。


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